三冊目は少し昔の本へ。平成2年に出版されたこの本です。


契約の再生

 著者については改めて紹介するまでもないかと思います。内田教授が,アメリカにおける最近の議論(「契約の死」)を参照しながら,日本における「契約の再生」について提言(?)する内容になっています。

 アメリカにおける議論の紹介はわかりやすく,面白く読めましたが,やはり,本書で一番おもしろかったのはⅥ章Ⅶ章の日本法の議論だったように思います。なお,アメリカの紹介部分(特に批判法学の部分)は,リアリズム法学を前提として語られるので,リアリズム法学について多少知識がないと読みにくいかもしれません。


 目次はこんなかんじです。



 Ⅰ 「契約の死」

 Ⅱ 「契約の死」をもたらしたもの

 Ⅲ 社会現象としての契約の死

 Ⅳ 原理としての契約の死

 Ⅴ 契約法とイデオロギー

 Ⅵ 関係的契約理論と日本民法

 Ⅶ  契約の再生
 


 まず,本書では,アメリカにおける「契約の死」が語られます。「契約の死」とは,「古典的契約理論」の社会学的,原理的な崩壊を指し,具体的には,アメリカ法におけるバーゲン理論の破綻を指します。
 著者は,アメリカ法における「古典的契約理論」=「バーゲン理論」の「死」が,アメリカ法だけの問題ではなく,より広く,大陸法や日本法にも係る問題であると論じ,その上で,アメリカにおける契約法をめぐる議論を紹介,それを日本法の解釈論へ活用するみちをさぐり,筆を置きます。



 我々は,「契約」を,自由に考えることができる合理的な個人が,対等な条件でお互いに合意をし,その合意によって拘束されるものとして捉えています。これが広い意味での「古典的契約理論」ですが,この古典的契約理論は,社会の実体を捉えておらず,それどころか,原理的にも妥当しないのではないか,という内容から本書は始まります。

 たしかに,実際の契約において当事者同士が対等であることは少なく,契約全てを契約時における当事者間の合意(約束)のみによって説明することは,「黙示の合意」など,理論的にもかなりの無理を強いることになることは,容易に考えることができます。

 その上で,かつては古典的契約理論が想定するような社会現象があったが,現在はなくなってきた,という見方すら間違いであり,今も昔も,古典的契約理論が想定しているような契約は極めて限られている,と論じます(社会現象としての契約の死)。

 これだけではなく,そもそも,古典的契約理論を支えてきた原理としての意思理論/約束原理すら,実は幻ではないか,その古典的契約理論に代わり,今何が提唱されているのか,を紹介します(原理としての契約の死)。 

 色々アメリカの議論を紹介したあとに,教授が共感を持った「関係的契約理論」を用いて日本法を解釈する試みを行って終わりです。関係的契約理論とは,荒っぽくいえば,契約を「将来の交換に向けてなされるある種の企画」と広く捉え,企画において重要な役割を果たすものとして,「約束」の代わりに,広く,「社会関係」を据えるものです。



 内容はざっとこのような感じですが,本書を読んで僕が思ったことを以下つらつら書いてみます。

 教授は,古典的契約理論が「きわめて限られた妥当領域しか有しない」ことを持って「死」と論じますが,そこで引用されているアンガーが「しかし,この理論[古典的契約理論のこと]は,一つの重要な意味において,なお支配しつづけている。それは,他のすべての思考の様式を,その理論との対比において,[原則に対する例外という形で]消極的にのみ自らを規定することを強いているという意味においてである。」と述べているように, 「原則」は「例外」との対比において意味を持つという見方も十分アリで,例外だらけで原則の妥当領域が小さくなっても,「依って立つ場所」として原則は有用性を持つのではないかなと思ったりしました。

 このように考えれば,フリードの約束原理が原理的規範性を主張するために妥当領域を限界まで狭めてしまったことも,プラスに評価できるのではないでしょうか。

 教授が共感を持って紹介する「関係的契約理論」については,僕も大変説得的だなと思いましたが,アティアの信頼理論,そして,「契約法は単一のパラダイム事例を中核とするルールの体系ではなく,むしろ原理を異にする複数のクラスターの集まりなのである」とする見方には,大変共感しました。こっちのほうが説明能力が高そうで僕は好きです。

 教授が最後に「関係的契約理論」と日本法とを接合させようと試みている箇所で,例外として捉えられていた継続的契約における「信義則」等々の議論を,関係的契約理論を援用することで「例外」ではなく,もう一つの中核事例として捉える,という議論にも感動しました。 
 ここにおいて信義則は「実定法の中に異なる次元の規範を導入する一種のパイプとして理解すべき」とされており,まさに「通路的制度」(G.Teubner)だなと思ってクスリとしました。

 契約法を,「外在的規範」と「内在的規範」とに二分し,法システム外の要請を内在的規範として理解する枠組みは説得的でした。その中で,日本は「外在的規範」としての実定法が継受法であり,「形式的に法律を適用すると妥当な結論にならない」という感覚が当初より存在したため,日本においては,外在的規範と内在的規範とが容易に対立し,内在的規範による修正がなされやすい特殊性がある,という指摘には膝を打ちました。


 今回はいつも以上にまとまりのない文章になりましたが,総じて面白い本でした。